ここの検証は必須でしょ?
西進戦略、すなわち「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」
という国策は杉山メモにも頻出していますが
真珠湾攻撃などは決して行わないという戦争戦略です。
アメリカとの激烈な全面戦争はあくまでも避けることが企図されていました。
なのに、なぜ永野修身軍令部総長は、海軍省部の大反対を押し切り
「腹案」を無視して真珠湾攻撃を決裁し、実際攻撃して、
アメリカを激昂させたのでしょうか? なぜ日米の全面戦争を点火したのでしょうか?
この謎について、東京裁判の尋問で永野修身は「『腹案』は理にかなっていたが
山本連合艦隊司令長官に辞任されては困るので真珠湾攻撃を承認した」旨を陳述しています。
驚くべき証言です。彼はこのとき何かを後世に伝えようとしたのでしょう。
彼はこのあと裁判中に「病死」させられました。