不思議な星の不思議な国

さまざまな不思議を解明したいの!

最近メディアがおかしいと思ってる貴方へ

f:id:missLOVE:20161201123018j:plain

日本テレビとCIA』関連年表 

 

*アメリカ側の動き

四一年一二月 八日 真珠湾攻撃 日米開戦

 

四二年一〇月    *ユージン・ドゥマン戦略情報局の顧問となる。

四五年 二月 四日 *ヤルタ会談

五月 七日 ドイツ無条件降伏。

七月二六日 *ポツダム宣言

八月 六日 *広島に原爆投下。

八月 九日 *長崎に原爆投下。

八月一五日 日本ポツダム宣言受諾。

八月三〇日 *マッカーサー厚木に降り立つ。

九月 二日 *終戦協定調印。

一〇月二三日 第一次讀賣争議。

四六年一二月一二日 正力松太郎巣鴨刑務所に収監。

    五月 四日 鳩山一郎公職追放

    五月二二日 第一次吉田内閣。

    六月一三日 第二次讀賣争議。

   一〇月〇五日 NHK放送ストライキに突入。

四七年 一月二七日 *ハリー・カーンGHQ攻撃を始める。

    六月    *ハリー・カーン、フーヴァー元大統領に支援を要請。

    七月 八日 *ジョージ・ケナンフォーリン・アフェアーズ

      七月号にソヴィエト封じ込め政策論文「ソヴィエト

      の行動の淵源」発表。

    七月二六日 *国家安全保障法成立、CIA創設。

    八月 四日 *マックス・クライマン渡辺武と初会見する。

          以後協調してマッカーサーに士気作戦を仕掛ける。

    九月 一日 正力巣鴨刑務所より出所(鮎川義助とともに)。

    九月一〇日 *公職追放令G項の該当者として正力公職追放

   一〇月 五日 *コミンフォルム結成。  

   一二月一八日 過度経済力集中排除(財閥解体法)法公布。

 

四八年 一月二七日 *VOAを常設のアメリカ宣伝機関とする

          スミス・ムント法成立。

    三月 一日 *ジョージ・ケナン来日マッカーサーに占領政策の転換を求る

    六月二八日 *米対日協議会(ジャパン・ロビー)

          ニューヨークのハーヴァード・クラブで結成。

   一〇月    米国家安全保障会議公職追放の緩和など日本の

          占領政策の転換を命じるNSC一三/二を出す。

   一〇月一九日 第二次吉田内閣成立。

   一二月 九日 *アメリカ政府財閥解体を命じたFEC230を撤回。

 

四九年 五月 四日 *ドゥフォレスト自らのテレビの特許を使ったテレビ局を

           日本に建設するために皆川芳蔵を法的代理人に任ずる。 

 

   五月二一日 「電気通信事業復興促進に関する決議」が衆議院本会議なされる。

         電話の復興の遅れが社会問題化していた。

   七月 六日 国鉄下山総裁の轢死体が発見される。下山事件

     一五日 中央線三鷹駅で列車が暴走。三鷹事件

     一七日 東北本線金谷川―松川間で列車転覆。松川事件。 

   九月二三日 ソ連原爆保有を宣言。

 

    十月 六日 皆川正力をパートナーとしてテレビ放送事業をする

          許可をマッカーサーに願い出る。

五〇年 二月 九日 *ジョセフ・マッカーシー、ウェーリングで演説する。

          マッカーシー旋風が起こる。

   三月 一日 吉田自由党と犬養民主党合同。

   四月 四日 *トルーマン大統領共産主義国のジャミング

         に対抗するためのNSC六六を出す。

   四月二〇日 *全米の新聞編集者を前に反共産主義プロパガンダで

         攻勢に出ることを宣言してキャンペーン・オヴ

        ・トゥルースを打ち出す。

   四月 六日 *ダレス国務省対日講和担当の特別顧問に就任。 

   四月 末  ヘンリー・ホールシューセン、「ヴィジョン・オヴ・アメリカ

         」の実施国に日本を含められるかどうか

         日本の放送事情を調査するために訪日。

   五月十六日 正力自らGHQにテレビ事業の許可を願い出る。

   六月 一日 放送法など電波三法が国会で成立。

   六月 五日 *ムント「ヴィジョン・オヴ・アメリカ」を上院で演説。

   六月一〇日 *ムントマッカーサーに「ヴィジョン・オヴ・アメリカ」   

         日本に導入するよう書簡を出す。

   六月二一日 *ダレス、カーンを同伴して来日。

   六月二二日 *ダレス、パケンハム邸で日米ジャパンロビーと会合。

   六月二五日 *朝鮮戦争勃発。 

         七月    トルーマン大統領、VOAのカウンター・ジャミング

         設備のために4100万ドルを議会に要求。

        「キャンペーン・オヴ・トゥルース」    

   七月二四日 新聞、放送、通信など日本のマスメディアでのレッドパージ始まる。

  九月    マサチューセッツ工科大学にマスコミ、社会学、心理学の研究者

        が集まり、ソ連のジャミングの壁を破ってアメリカの真実を届ける

        方策を練る「プロジェクト・トロイ」を立ち上げる。

  九月    米議会、トルーマンが要求していたカウンター・ジャミング

        予算を承認。

  十月一八日 *ドゥマン戦争中プロパガンダ宣伝に従事した日本人を使って士気

        作戦を計画していることをキャッスルに打ち明け支援を求める。

        キャッスル新CIA長官ベデル・スミスに提案してみることを約束。

 

五一年  時期不明  カウンター・ジャミング放送網建設計画

         「プロジェクト・リング」の一環としてフィリピンのジェイド

          に713万ドル、沖縄のジョン(奥間)に684万ドルの

          予算が配分される。

 一月二九日 *CIAキャッスル邸でドゥマンと会談し

       ドゥマンの行なっている対日士気作戦に資金援助を約束。

   二月 一日  *プロジェクト・トロイ をトルーマン大統領に提出。

  四月一一日 *マッカーサー解任。

  四月二三日 柴田電波管理委員会委員に同行して渡米、ムントに会う。

  五月 八日 *ムント柴田に会いホールシューセンへの紹介状を書く。

  六月二〇日 三木武吉石橋湛山ら二九五八人の追放解除。

  七月一〇日 *アメリカ下院VOA予算を大幅カット。

      アメリカの外交・情報政策に逆風。

  八月 六日 正力、鳩山など一三九〇人追放解除。

  八月二二日 *ヘンリー・ホールシューセン、ウィリアム・ホールステッド

      ウォルター・ダスチンスキーのムント・ミッ ション来日。

  九月 一日 日本初の民間ラジオ放送始まる。

  九月 八日 サンフランシスコ講和条約日米安全保障条約調印。

  一〇月 七日 *キャッスル吉田の依頼で犬養を共和党有力議員に紹介。

五二年 二月一八日 電波監理委員会アメリカ方式を採用することを決定。

    四月一四日*ホールシューセン、国務省に政府の情報・外交政策関係者

         を集めてユニテル・マイクロ波通 信網 

        ( 太 平 洋ネットワーク)の説明会を開く。

    四月二八日 サンフランシスコ講和条約日米安全保障条約発効。

          GHQ廃止。占領終わる。

    七月 一日 *アメリカでテレビ局の新設申請凍結が解除される。

         新局建設ラッシュになり送出機が極度の品薄となる。

    七月一七日 吉田首相網島電波監理委員長に日本テレビにのみ

          テレビ免許を発行することを命令。

    七月二一日 破壊活動等防止法施行、保安庁発足。

    七月三〇日 電波監理委員会日本テレビにのみテレビ放送免許を

          発行したのち解散。

    八月二日  電電公社発足。

    八月一二日 *ホールシューセン正力との密約(アメリカ側による機器の

          調達と建設資金の提供)を一方的に破棄。

    八月三〇日 *フィリピンアメリカとの間に相互防衛援助協定締結。

          アメリカはこれを発端にして他の北東アジアの 

          国々と同じような協定を結ぼうと図る。

   九月十六日 ユージン・ドゥマン来日、野村と再会をはたす。

  一〇月二四日 鳩山一郎自由党鳩山派を旗揚げ。

  一〇月十五日 日本テレビ放送網株式会社を設立する。

  一〇月二〇日 正力、日本テレビ創設のときの密約を一方的に破棄を朝日

         毎日に宣告して大阪讀賣を創刊する。

  一一月 四日 *ドワイト・アイゼンハワー大統領に当選。

  一一月二〇日 ユージン・ドゥマン天皇との感激の対面を果たす。

  一二月二〇日 上院外交委員会海外情報プログラム小委員会の視察団の

        一員として来日。正力と関係を修復し覚書を交   

        わす。菅原啓一と小松信之助が仲介者となる。

 

五三年 一月三 日 菅原啓一日本テレビ放送網を駐留アメリカ軍の軍事通信回線

          の拡張整備に、あるいは自衛隊の軍事通信回線に

          利用することを示唆。

    一月一一日 NHKの東京―名古屋―大阪を結ぶマイクロ波回線開通。

          (ただし東京から大阪への下り回線のみ)

    一月二七日 *ホールシューセン、マウンテン・トップ式を重視しない

          日本テレビ放送網の設計図を見てプロジェク

          トからの離脱を一方的に宣言。

   一月三〇日 *心理戦局大統領に「対日心理戦略綱領」を提出。

   二月    相互防衛援助協定によってフィリピンのマイクロ

         波通信網計画に対し一八万ドルの調査費を支出する。

   二月 一日 NHKテレビの本放送を開始。

   二月十六日 *ジョセフ・マッカーシーVOA内の破壊活動を調査

         するための公聴会を始める。

   三月十四日 国会「バカヤロー解散」。

   三月二四日 柴田一〇〇〇万ドル借款のためにアメリカ

         に向けて羽田から出発。 

   三月二五日 *CIA「正力マイクロ構想」を駐留アメリカ軍が

         必要とするマイクロ波通信網「ポハイク」として利

         用する計画の検討に入る。

   四月 五日 *CIA局員が柴田に接触し正力に関する情報を収集する。 

   五月 五日 *ジョン・フォスター・ダレス国務長官 アメリカ議会

         で日米相互防衛援助協定による二億ドルの対日

         援助をする用意があると発表。

   五月 八日 *ウィリアム・ドノヴァン、一〇〇〇万ドル借款の

         法的代理人をマーフィに譲ることを柴田に通告。

   五月一五日 *ワシントンのショーラム・ホテルで

         「正力マイクロ構想」の説明会が開かれる。

   五月二七日 *日米相互防衛援助協定のためエヴァレット・ダークセン、

         ウォーレン・マグナソン両議員来日。

   六月一六日 一〇〇〇万ドル借款の正式申請書完成。

         当初よりも軍事色が強いものになる。

   七月一一日 *ヒッケンルーパー上院議員、マーフィらの

         一〇〇〇万ドル借款工作に抗議の手紙を送る。

   七月二七日 *朝鮮戦争停戦。

   七月二七日 柴田フレイン・ベイカーの仲介で輸出入銀行の頭取と副頭取に会う。

   七月二九日 *菅原とクロウリーこのままでは借款が獲得できないので、

         法的代理人をマーフィからジェイムズ・リー・カウフマン

         に替えることを主張。

      *ウィリアム・ドノヴァン、大統領にタイ大使に任命されタイに赴く。

   七月三〇日 *「正力マイクロ構想」のための一〇〇〇万ドル借款

         に対し国防省からの推薦状がでる。

   八月 一日 *アメリカの情報・外交プログラムを統合したUSIA発足。

         沖縄から日本語によるVOA放送開始。

   八月二八日 日本テレビ本放送を開始。 

   九月 一日 柴田アメリカでの借款工作を終えて帰国。

   九月 四日 *正力マイクロ構想」のための一〇〇〇万ドル借款

         に対し商務省からの推薦状がでる。

   九月一〇日 正力、朝日新聞毎日新聞社長と連名でマイクロ波通信網

         が完成した際には電電公社に電話回線をリースするという

         念書をだす。

   九月二三日 日本電電公社犬養健を通じて二五〇〇万ドル借款に乗り出す。

   九月二九日 *CIA「正力マイクロ構想」支援工作「ポダルトン

        (暗号名)に実施許可を出す。

   十月 五日 池田隼人特使日米相互防衛援助協定の協議のために訪米.

     一五日 *ホールステッド日米相互防衛援助協定の協議のために

         訪米していた池田に「正力マイクロ構想」支持を求めるが

         拒否される

  一〇月一九日 *ドゥマン犬養に激怒。犬養キャスルやドゥマン・グループ

        から見捨てられる。

   一一月   電電公社総裁の梶井剛がアメリカを訪れ、ナショナル・

         シティー・バンク・オヴ・ニューヨークなどの有力市中銀行

         トップと会談を重ね二五〇〇万ドル借款の内諾を得る。

  一一月 六日 衆議院電気通信委員会で、改進党の斉藤憲三衆議院議員

         が日本テレビ放送網の米国の借款によるマイク ロ波通

         信網建設計画を問題視する発言。この発言のなかで怪文書が

         読み上げられる。

  一一月 七日 *CIA極東支部国会で秘密工作が暴露されたため

         「ポダルトン」実施の見直しを本部に要請。

  一二月 七日 正力マイクロ波通信網計画のことで衆議院電気通信委員会

         に参考人 招致を受ける。

  一二月一〇日 *キャッスル、ユニテル社のフロイドに日本テレビ

        をあきらめて電電公社と組むことを説得。

  一二月二二日  電電公社梶井総裁、アメリカにキャッスルを訪ねる。

       キャッスル正力支持をやめて電電公社支持に転換する。

  一二月  末  *駐留アメリカ軍、正力から軍事用通信回線をリースする方針を

        変えマイクロ波通信網(ポハイク)の建設と保守を電電公社に発注。

五四年 

 一月二六日 保全経済界代表伊藤斗福逮捕される。

   二月二〇日 *キャッスルが仲介して新正力・吉田密約が結ばれる。

       内容は駐留アメリカ軍の軍事通信網を電電公社

       建設・保守するかわり、自衛隊の軍事通信回線は

       日本テレビからリースするというもの。このため吉田は

      一〇〇〇万ドル借款が国会の承認を得られるように努力する。

三月 八日 日米相互防衛援助協定調印。

三月十六日 マーシャル諸島ビキニ環礁第五福竜丸水爆実験の死の灰を浴びる。

三月三〇日 *国防総省公衆情報局テレビ部のクラーク・ソーントン少佐、

      ホールステッドに日本テレビの番組枠買い付けを申し入れる。

四月一五日 電電公社の東京―名古屋―大阪間マイクロ波回線開通する。

    *菅原、ユニテルは勝ち目のない日本テレビではなく

    電電公社と組むようになるだろうと噂を流す。

四月二一日 犬養健、造船疑獄事件で指揮権発動。

五月 一日 日米相互防衛援助協定発効。

六月 九日 防衛庁設置法、自衛隊法成立。

九月 六日 正力の要請で池田勇人幹事長、木村篤太郎防衛庁長官

      塚田十一郎郵政大臣を招き四者会談が東京丸の内

      東京会館で会談。新正力・吉田密約にしたがって

     「正力マ イ ク ロ 構 想」 に 協 力 を 要 請。 塚 田 に  対 し

      自 衛隊の軍事回線としてリースすることを前提にマイクロ

      波通信網を建設したいと申し出るが、正力が鳩山を支持し

      吉田打倒にまわっているため拒否される。

九月二六日 吉田首相、借款獲得により頽勢を挽回するため外遊に出る。

一〇月一一日「正力マイクロ構想」衆議院電気通信委員会で再び問題として取り上げられる。

一二月 三日 参議院電気通信委員間で「民間会社」(日本テレビ)が外国からの借款によって通信網を建設すること

       は許さないとする「我国電波政策に関する決議」がなされる。

一二月 七日 吉田内閣崩壊。

一二月一〇日 第一次鳩山内閣成立。

五五年 二月二七日 正力郷里の富山県二区から衆議院議員選挙に打って出て、苦戦の末当選する。

  三月三〇日 *CIA長官アレン・ダレス、タングステン取引の焦げ付きのことでユージン・ドゥマンを司法省に訴 

       えるとキャッスル邸でいきまく。

一一月一五日 自由党と保守党合同、自由民主党結成。

一一月二二日 正力第三次鳩山内閣国務大臣として入閣する。

五六年 一月 一日 正力原子力委員会の初代委員長に就任。

五八年 五月二二日 *第二八回総選挙。自由民主党にCIAからの多額の秘密資金が流れる。

    七月二四日 *CIA文書正力が太平洋ネットワークのために動いていることを報告。

七月二五日 佐藤栄作、米大使館第一書記と密談。資金要請。

 

表1

 

 米国情報政策の変遷(大統領・国務省と上院外交委員会の主導権争い)

 

1940年 *ネルソン・ロックフェラーのもとに間アメリカ調整局(CIAA)

      が設置され南米が親ナチ化しないように放送を開始する。

1942年 *戦時情報局(OWI)ヨーロッパに向けてVOA放送を開始する。

1945年 *トルーマン戦略情報局(OSS)、戦時情報局廃止。

1947年 *国家安全保障法 CIA、心理戦局創設

1948年 *スミス・ムント法成立 VOAの強化

1950年 *VOAの東欧、南米での活動が疑問視される。

      上院議員ジョゼフ・マッカーシーVOA攻撃、

      ムントVOAを見直すべきと発言

1952年  *一月、国務省に国際情報局(IIA)設立される。

     その一方でアメリカの海外放送、情報機関の実効性調査、

     再編の提案(ウィルバー・シュラム、ウィリアム・ドノヴァン委員

     が出される。

      *上院外交委員会、海外情報プログラム小委員会

          (委員長、ヒッケンルーパー)

1953年 *一月、ジャクソン(C.D. Jackson, William H. Jackson)委員会

      が作られ、これまでいくつかに分かれていた海外放送、情報機関

      の整理統合を検討。 

      六月、ジャクソン委員会の最終報告書に基づいて海外放送、

      情報機関の整理統合が行われ合衆国情報局が創設される。

      八月、沖縄局日本に向けて日本語VOA放送開始。

 

*国務省・大統領側 *上院外交委員会